紺碧の向こう

卒論は新海誠論でした

【ネタバレ注意】『すずめの戸締まり』の椅子はなぜ脚が1本欠けているのか

『すずめの戸締まり』には脚が1本欠けた椅子が登場します。この椅子は主人公・鈴芽が母・椿芽に手作りしてもらったというポジティブな記憶と震災のネガティブな記憶を思い出させるアイテムです。

そして旅の青年・草太が謎の猫・ダイジンに姿を変えられてしまうものです。(公式イケメン設定なのに劇中ではほぼ椅子の姿なのが可哀想で愛おしいですね。)椅子に姿を変えられた草太は、初めのうちは身体を動かすのに苦労します。(コミカルな動きが可愛らしいですね。)また一度眠りに着くと目覚めるのに時間がかかります。(椅子なのにすごい寝相で寝る草太さんはとてもキュートですし、キスで姿を戻そうとする鈴芽ちゃんはいじらしいです。)

しかし旅を続けるにつれ、草太は身体を動かすのに慣れてきます。ジェットコースターのコースでダイジンとアクロバティックな鬼ごっこもできるようになります。

ただ、それは同時に草太の精神が椅子に馴染み、「ヒトではないもの」「常世(死)に近い存在」に近づいていることを意味します。

 

東京で巨大な厄災・ミミズが今にも多くの命を奪おうとしているとき、草太は自分が無機物に姿を変えられた意味に気づきます。すなわち「かつてミミズを封印していた要石(ダイジン)の代わりに自分がなること」です。

鈴芽は草太を要石として常世にミミズを封印し、東京で巨大地震が起こるのを防いだのでした。めでたしめでたし。おい。

 

その後鈴芽は草太の育ての親、宗像羊朗を訪ねます。常世に行き、要石となった草太を救うためです。しかし宗像老人はそれを一度は否定します。

閉じ師の仕事は命懸けです。災厄との戦いで命を落としてきた者もいたはずです。それを物語るかのように病院のベッドに横たわる宗像老人の右腕は根本から失われています。

 

さてようやく本題です。鈴芽の椅子は何故脚が欠けているのか。

それは鈴芽を守ったからです。

本来なら鈴芽の命は震災で失われていてもおかしくなかったでしょう。それでも椅子を作った鈴芽の母親の愛の力が娘を生かしました。椅子の脚は鈴芽の命と引き換えになったのです。たぶん。(宗像老人も腕と引き換えに大事なものを守ったのでしょう。たぶん。)

 

旅の果て、常世に辿り着いた鈴芽は草太の代わりに「自分が要石になる」と言い出します。旅を通して自分の命を差し出しても守りたい存在になっていたのです。

その声はちゃんと神様(ダイジン)に届きました。

草太は人間の姿、ダイジンは要石としての姿に戻りました。そして鈴芽たちは要石で再度巨大なミミズを封印することに成功します。今度こそ本当にめでたしめでたしです。

 

何かを守るというのはとても大変なことです。ひょっとしたら自分が傷つくかもしれません。それでも守り守られ、傷つきながらも人は生きていきます。その象徴が鈴芽の椅子です。鈴芽は椅子の欠けた脚を見るたび、震災のことを思い出すでしょう。それでもきっと母親のような看護師を目指し、誰かの命を救うのです。