紺碧の向こう

サブカルということばが好きではない人間が好き勝手書いています

おじゃる丸『わすれた森のヒナタ』で描かれた「せんそう」

気づけばいつの間にか前回のエントリから半年。
まあ大したアクセスもないし、アフィリエイトやってるわけでもないですし、いいんですけど。
入退院繰り返してつらいのはまともにアニメを消化できないことですね。

本当は前の続きを書こうかとも思っていたのですが、今回は別の内容で。

タイトル通り、2015年8月にEテレNHK)で放送された、おじゃる丸『わすれた森のヒナタ』について書きます。

【あらすじ(ネタバレ含む)】
夏のある晴れた日の広い草原で、おじゃる丸・カズマ・電ボらと小鬼トリオは、いつも通りおじゃる丸の持つ「エンマ大王のシャク」を巡る攻防(笑)をしていた。するとそこに、記憶をなくした少女「ヒナタ」が現れる。おじゃる丸は、ヒナタと共に、ヒナタの帰るべき家を探すことになった。
道中の森の中で、彼らは同じように記憶をなくした鳥「ビーちゃん」(体に「B」の字が書かれている)、亀の「ドンゾウ」(明らかにリクガメの体格なのにバタフライで泳ぐ)、謎の生物「ボンスケ」(黒いハンプティ・ダンプティのよう)と出会う。谷を越え、湖を渡っていくうちに、彼らは少しずつ、以前の記憶を取り戻していく。
数々の冒険ののち、彼らはとうとうヒナタの家を見つけだす。ヒナタの家の扉を開けると、周囲の風景が一変する。家屋は燃え、空には爆撃機が飛んでいる。その光景を見て、ヒナタたちは全てを思い出した。
ヒナタは、かつてあった「せんそう」による爆撃で、家族とともに命を落としていたのだった。ヒナタは死者の「魂」だったのである。
ビーちゃんは街に爆弾を落とさなければならなかった飛行機の「魂」だった。ドンゾウは、たくさんの人を乗せて海を泳ぎたかったが魚雷で多くの船を沈めることになった潜水艦、ボンスケは花火として鮮やかに散りたかったが、爆弾にされてしまったモノの「魂」だったのである。
彼らは、自分たちに起きてしまったことを全て忘れたいと流れ星に願った。そしてその望みは叶った。彼らはかつての記憶を全てなくし、これまで「森」で暮らしていたのだという。
記憶を取り戻した彼らは「いるべき場所に帰らなくてはならない」とおじゃる丸の前から消えようとする。おじゃる丸たちの後を追ってきていた小鬼トリオは、エンマ大王を頼り通信をする。おじゃる丸はエンマ大王に「『せんそう』とやらをなかったことにしてほしい」と頼む。しかしエンマ大王は「起こってしまったことをなかったことにすることはできない。自分にできるのは、『 せんそう』を起こした者どもをきつく叱ることぐらいだ」と言う。
おじゃる丸たちが困惑する中、ヒナタたちは消え(成仏し)てしまう。
草原へと戻ってきたおじゃる丸は、迎えにきたトミー老人に、かつてあった「せんそう」のことを教えてほしいと涙ながらに乞う。
【あらすじここまで】

戦後70年という節目の年に、このアニメは放送されました。

普段の放送の3倍ではありますが、約29分という短い尺に、大地丙太郎監督が子どもたちに伝えたかったことは全て詰め込まれていたように思います。

  • 「せんそう」はたくさんの人の命や夢を奪う、恐ろしいものである
  • 道具に罪はなく、使い方次第では善にも悪にもなる
  • 起こってしまったことは、元に戻すことはできない

おじゃる丸の対象年齢(小学生まで)の子どもたちにとって、史実をそのまま伝えることが「ためになる」わけではありません。順序立てて、少しずつ知っていけばいいことです。そういう意味で、このアニメは子どもたちが「せんそう」について触れるきっかけとして、非常に素晴らしい出来だといえます。

おじゃる丸の監督を放送開始時から務める大地氏は、コメディが得意な方だという印象が強いのですが、たまにトラウマになるくらいのシリアスをぶっこんでくるので困ります(褒め言葉)。10年ほど前ニチアサに放送されていた『レジェンズ 蘇る竜王伝説』を思い出しました。あれも、初回から4分の3くらいまではコメディだったのに、放送終了に向かうにつれどんどんシリアスになっていってつらかったです。しかし間違いなくネ申アニメだと言えるので、機会があれば是非ご覧いただきたいです。(再放送希望)

熊と巨人とそれから喰種 みんな違って みんないい(1)

年度始めということでキリがいいので、本日よりブログをはじめます。

アニメやゲーム等ポップカルチャーについて勝手気ままに綴っていきます。

不定期更新とはなりますが、どうぞよしなに。

 

本エントリでは『ユリ熊嵐』『進撃の巨人』『東京喰種』の3ジャンルについて扱います。アニメ、コミックス等の一部ネタバレを含むことがありますのでご注意ください。

 

この3ジャンルに共通するのは以下の3点です。

  • ヒトが他種族に捕食される点
  • 捕食者がヒト(被捕食者)に紛れて生活をしている点
  • 主人公が後天的に捕食者側(ヒト以外の存在)になる点(反転)

また、ユリ熊嵐』と『進撃の巨人』は、以下の点においても共通しています。

  • ヒトが「壁」を築き、捕食者から身を守ろうとしている点
  • 捕食者が「壁」を越え、ヒトを食べにやってくる点

しかし、これらのジャンルで大きく異なるのは、「ヒトを食べる理由」です。

 

『東京喰種』では喰種(グール)と呼ばれる存在がヒトを捕食します。

これは喰種が「ヒト以外のものを食べることができない」「ヒトを食べなくては生きていけない」からです。

喰種は「生きるため」「食欲を満たすため」にヒトを食べるのです。

ヒトも生命を維持し、世代を残すために、他の生き物の命を奪います。

 これはあらゆる生物にとって基本的な行動原理です。

生きていくためにはやむを得ないことなのです。

その中でも、無益な殺生を忌避する陣営や、美食のために積極的に戦闘をする存在など、個性があるのは興味深いですね。

 

ではユリ熊嵐』のクマや『進撃の巨人』の巨人は、なんのためにヒトを食べるのでしょう。

クマは雑食です。ヒトを食べなくても、他のもので補えばいいでしょう。

巨人に至っては、消化器官もなく、生命を維持するために摂食行動を必要としません。

ならばなぜヒトを食べるのでしょうか。

クマも巨人も「知性を持つ」ということから、人間と共通する部分はあると考えられます。そこで、人間の心理と関係づけながら、「ヒトを食べる理由」について考察してみたいと思います。

 

長くなりそうなので続きは次回。